今回は姪浜に根を張り、長きに渡り『護山文房具店』を操業し続け商店会の会長や相談役など様々な団体で役職に就き姪浜の発展に寄与してきた姪浜の顔と言っても過言ではない久保保彦さんにお話を伺ってきました。
ー今日はよろしくお願いします。
久保保彦さん(以下『久保』):よろしくお願いします。
ーまずは簡単に自己紹介を御願いします。
久保:姪浜を中心に西区で文房具店を経営しています久保保彦と申します。
ーありがとうございます。お店は何店舗経営されているんですか?
久保:旧唐津街道沿いの本店、姪浜駅南店、拾六町店、九大学研都市店の4店舗になります。
ー4店舗って凄いですね!今の本店が最初の1店舗目ということでよろしいですか?
久保:そうです。もともとは先代が1946年に創業して私が引き継ぎました。
ーなるほど、それでは久保さんについてこれからお伺いしていきたいのですが出身はどちらになられるんですか?
久保:今はもうなくなってしまいましたが嘉穂郡の大分村というところの出身になります。現在は飯塚市になっていて大分村には宇佐八幡宮の第一分社の大分八幡宮があります。この大分八幡宮の別れが東区の箱崎八幡宮になります。
(福岡県飯塚市にある大分八幡宮)
ー姪浜へはいつ頃来られたのですか?
久保:結婚してしばらくしてこっちに来ました。というのも元々このお店は妻の実家で先代は妻のお父さんになります。妻の母は嘉穂郡から嫁いできており元々久保家と護山家は遠縁続きで妻と一緒になりました。
ーそうだったんですね、それじゃあ結婚されるまでは別のお仕事をされてたんですか?
久保:はい、大学を卒業してから福岡にある鉄工所でセールスエンジニアとして働いていました。
ーそれはどのくらい働いてたのですか?
久保:10年位勤めました。結婚した当初はまだ鉄工所で働いていましたが後継者がいないということで鉄工所を退職して護山文房具店に入社しました。
ーなるほど、セールスエンジニアと文房具店って全く違う業種の様にも思えるんですが先代のもとで働き始めた当時の苦労などあれば教えてください。
久保:完全に畑違いの仕事になったため苦労は沢山ありました。鉄工所勤務の時は技術職の要素が強く技術を売る仕事でしたが文房具店は商売人としての要素が強く物を売る商売のため勝手が全然違いました。金額も違えば商品の数も違うので慣れるまでは大変でした。
ーどのくらいで慣れましたか?
久保:3年くらいかかったと思います。店内を見ていただいてもわかるように商品のとにかく膨大なので商品の事を覚えるのが大変でした。
(お店の中には数え切れないほど文房具の数々が)
ーなるほど、確かにこれだけの量があると覚えるだけでも大変ですね。鉄工所をやめてお店で働くことになった時の心境はいかがでしたか?
久保:やると決めたからには一生懸命ひたすらににやるって気持ちでとにかく必死でした。
ー働き始めた当時のお店ってどんな状況だったんですか?
久保:本店は旧唐津街道沿いにあるのですが当時はとにかく活気がありました。商店街にはお店が沢山営業していて住吉神社のあたりではリヤカー部隊が来ていてお盆前や正月前などは買い物客で街をあるくのも大変なくらい人で溢れかえっていました。そのおかげでお店にも沢山お客さんが来てましたね。
ー昔は本当に凄かったみたいですね。
久保:それから周りに文房具店が全然なかったのでお客さんがうちに集中してました。まだ今みたいにバイパスなんかもないときに遠くからだと野方や拾六町あたりからもお客さんが来ていました。寡占的ともいえるような状態で、学校の中でも文房具を売ることもできたし中学校の中の売店を出店したりもしていました。
ー学校の売店にも出店されてたんですね。その他なにか印象的な出来事なんてありますか?
久保:昔はこの辺りは本当に何もなくて学校も少なかったです。姪浜小学校、姪浜中学校、内浜小学校くらいしかありませんでした。そこから姪北小学校、愛宕浜小学校、愛宕小学、福重小学校と分れてどんどん学校が増えて生徒数が増えたおかげで忙しくなって売上も増えました。
ーなるほど、街の変化していくことで護山文具店にもかなりの影響を与えていったわけですね。
久保:そうですね、ただそれは良い影響もあれば悪い影響っていうのもあります。
ーといいますと?
久保:区画整理によって人口は増えましたが人の流れが姪浜駅の南側に移ってしまって本店のある旧唐津街道沿いに人がいなくなってしまいました。それと大型量販店の進出によって文房具をそっちで買う人が増えて文房具店へ来られるお客さんが激減したんです。
ーそれってものすごい逆風じゃないですか?
久保:そうですね、ただうちは、一般のお客さんに販売するだけでなくここら辺一帯の学校に教科書を卸したり、体操服の販売店の指定を頂いてたのでなんとかこれまでやってこれました。学校が増えると同時にうち以外にも文房具店ができて一時期文房具が増えた時期がありましたが量販店の進出によって廃業に追い込まれたほとんどなくなってしまいました。
(お店では学校指定の制服や体操服を購入することが出来る)
ーなるほど、昔から操業してきたことで学校との信頼関係を築くことが出来ていたおかげで難を逃れた訳ですね。
久保:かもしれません。今、文房具店業界は苦境に立たされています。100円ショップやコンビニ、量販店などが普及したためわざわざ文房具店に行かなくても揃えることが出来てしまうので一般のお客さんだけを対象に経営をするのは非常に難しいです。
ーわかりました。それでは前編はここまでとさせていただきます。後編では護山文具店がどのように街の変化に対応しこれまでやってこられたのかなど更に深掘りして行けたらと思います。有難うございました。
久保:ありがとうございました。
護山文房具
久保 保彦さん
昭和45年の創業以来、姪浜を中心に福岡市西区内に文房具店『護山文房具』を経営。姪浜の数多くの商店が所属する『姪浜中央商店会』の立ち上げに携わり、会長や相談役といった役職を歴任し地域を盛り上げるために活動を続けて来た顔を持つ。
【護山文房具店】
(姪浜本店)
住所:福岡県福岡市西区姪の浜2丁目14-4
TEL:092-881ー0044
定休日:日曜日
(姪浜駅南店)
住所:福岡県福岡市西区姪浜駅南2丁目1-30
TEL:092-592-1755
定休日:日曜日
(九大学研都市店)
住所:福岡県福岡市西区徳永北10-1
TEL:092-407-1585
定休日:日曜日
(拾六町店)
住所:福岡県福岡市西区拾六町3丁目19
定休日:日曜日